NHKのハーバード白熱教室の再放送が今日あるそうな
1回目の放映を見たものとして、まったくもう学生のヘタレぶりに涙が出た。 この授業の手法がデベートであるという前提について行っていないという基本的な能力不足はさておき、戦争責任→謝罪するかしないか という論旨の展開に異議を申し立てるスタンスが出てこない。 謝罪するべき、謝罪の必要がない どちらの論者も言葉に対する感度が低すぎる。 教授はおそらく意識的に戦争責任を認める=謝罪する という設定を置いているのだがここに問題があることに気がつくべき。「攻めるならここだ!」というポイント。 「歴史的過去、われわれの上の世代」の戦争責任を認めることと、現代のわれわれが謝罪することは全く別の問題。 過去を謝罪するべきという人は何のために謝罪するのか。ここがポイント。 謝罪はタイムマシンじゃない。やったことは消えない。 謝罪することによって過去の過ち(を認めるとして)を帳消しにできるとでもいうのか、そんなことはありえない。 それ以後の人間はだれも、どんな行動によっても歴史を変えることはできないし、歴史を打ち消すことはできない。歴史はそれ以後どんな行動があっても残り続ける。戦争責任だけではない個人的にもそう、言ってしまったことを取り消すことができるのは本人だけで、しかもそれでもなかったことにはできない。違った意味を付け加えるだけなのはみんな知ってる。 わたしだって、先祖になり替われるなら明治時代に青山の土地(当時は竹やぶ)を1000坪程買っておきたかったもんだ。あのときは買い逃しました、ごめんなさい、といってもだれもくれないよね。 では次世代にあたるわれわれにできることはなにか 過去に学びわれわれに与えられた時間においてより良い選択をすること、可能なのはこれだけ。 この選択のなかに歴史認識の相違が現れる。戦争責任があるかどうか、これはこのポイントの問題でそれは謝罪とは異次元にある。今の行動の選択は過去の歴史に対する認識が大きく左右する。「わるかった、もうしません」か「失敗した、こんどはもっとうまくやろう」とでるか。 戦争責任と題して謝罪のあり無しを討議する設定に異議を申し立てないと冷静な認識判断はできないでしょ。 だから反論のつもりで「原子爆弾の投下に対してアメリカは謝罪するのか」という話も出てくる 謝罪してもらっても困る、死んだ人は帰ってこない。現代アメリカ政府が責任をもって言えることは「もうしません」だけ。 歴史の認識と現在の謝罪を峻別しないと「ごめんなさい、こんどはもっと正しくつかうね」という回答が出てくる可能性がある。それでも謝ってもらったから許す? 書いていてクドくてわれながらイヤになった。 サンデルさんも挑発に乗りやすいマジメな学生をもてあそんではいけません。 10分に一度ぐらい「これはデベートだ」「謝罪とはどういう意味としてつかってる?」と繰り返してやってくれ。 個々の学生はバカじゃないけど教師の挑発にはなれてないのよ・・・
by kokichi50
| 2010-10-11 13:27
| 近隣のみなさま
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ちょっときいてよ
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