2009年 2月6日 都内某所にて ささやかに新年会
ほろ酔い半歌仙が巻き上がりました 半歌仙「海の声」 連衆 こだま 暁兵 晶 ゆ プリズン 発句 海の声聞こえてきたり牡蠣の鍋 こだま 脇 できごころとふ波のいい訳 暁兵 第三 坂道に雛の荷物を持ちかえて 晶 四 道で出会った女の横眼 ゆ 五 誰かしら振り返っても月朧 プリズン 六 煎り豆屋から豆を煎る音 晶 裏初 追い払ふ過去も未来もワンセグに こだま 二 貴方にあげるわたくしの鍵 暁 三 音もなく雪の降り積むショーシャンク 暁 四 缶を開ければメキシコの空 ゆ 五 あのころはパイナップルに穴があり 晶 六 そこのけそこのけラクダが通る 暁 七 水の星陰るあたりに望の月 晶 八 割れた茶碗に小菊を活けて 暁 九 むざんやな芭蕉の嘆くきりぎりす 晶+暁 十 派遣村から流れる歌声 こだま+他 十一 時止まる大川の土手花万朶 こだま+暁 挙句 恋のひとつも江戸の春かな ゆ 里山の静かな木陰に木漏れ日を浴びてひっそりと咲いている
物思う風情の薄むらさきは万葉の詩人の心にも話しかけた な~~んぞとロマンチックな花なんでありますが 武蔵野の片隅で見たとか、見ないとかさんざん俳句仲間で話した後 純粋街中住人が発見したのはなんと東京下町八百屋の店先でありましたとさ 夕方、いつもの八百屋さんの店先で「おしたし、てんぷら」と札とつけられて1パック軽く一握りほどが130円、福島県産だそうであります くっちまうのかよ・・・当然購入、2パック 一つはてんぷらでおいしくいただきました、ころもの間から薄むらさきが透けて見えるなかなかオツなものです で、残りの一パック、コップに挿しておいたら次々開いて もののふの 八十少女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 家持 家持も食っちまったにちがいないよな ちょっと脱力 かたくりや蛙は嫁に来いと言ふ 晶 ![]() ![]() 山は暮れ野は黄昏の薄かな 蕪村
某掲示板で国木田独歩の「武蔵野」について書いていた人がいた 武蔵野の終わりの一節に上の句が引用されている そういえばそんなのあったなぁ・・・と武蔵野なんてン十年まえの中学時代に読んだきり、そのときは気候温暖水利抜群人口緻密地域の住人でまず、雑木林ってのがわからなかった。 わが故郷は平地に林なんて神社の杜があるぐらい、山に木はあるがあれは林とはいわんだろう。無理にあるけばハイキングという。 そこでは独歩の言うように「道に迷うことをおそれてはいけない」なんてことは無い。おおいに恐れるべき。 飛騨山脈で遭難すると人に迷惑はかけるが不運だったと人は言ってくれる(かもしれない)だが関西周辺の六甲山、生駒山あるいは京都の東山西山で遭難したら、生きて帰ってもニュースになる。まず行き倒れとの区別が難しい。 ところがごくたまに六甲山で遭難する人がいて、昨年は「勝手に帰ってくるだろう」と同行者にも見捨てられ、山中10日焼肉のたれをなめて帰還した市役所職員がいた。びっくりした。 閑話休題 この最初にあげた句、なにか引っかかるものがあった それで思い出したのがこの句 遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子 別に虚子さまが盗作をされたというわけではない また先日書いていた「踏む」というのともちがう これはにているがまったく逆の光景を詠んでいる 遠山に日の当りたる枯野かな 虚子 山は暮れ野は黄昏の薄かな 蕪村 虚子の句は低い冬の日が山頂だけに当たっている光景。 周囲は薄暗いのに遠くの山の峰だけは陽がさしている。 これは大団地の我が家周辺でもあることで、20階以上の部屋はまだ陽が入っているのに二階の我が家は真っ暗というやつ。 では蕪村の句はどうだろう この場合山はもう真っ暗、平地にはまだ残照がある これが起きるのは、山の側、山の向こうに日が沈むとき 山のこちら側は陰になり山を越えた陽が平地を照らす。 虚子も蕪村も山すその平地に立っているわけだが虚子の日は野の側に低くあり蕪村の日は山の側に沈んだということになる 虚子はこの句を道後の温泉山だと自解してるそうだが、虚子の住んだ御宝町から温泉山は東になる。虚子の背後にあったのは西の豊後水道に沈む夕日だったかもしれない。 蕪村は京都の人である、西山の山すそあたりの薄野、まずは嵯峨野の夕暮れを思い出す。 うつりゆく影と光線のほんのひと時をつかまえてどちらの句も作者の代表句のひとつになっている。 ![]() 連休に出かけるには年齢制限がある
制限を越えると掃除と昼寝と読書 さらに夏物衣類の整理 たまには晩酌 オワリ 我が家は黄金週間の間に二回家族の誕生日がある どちらも大人なのでケーキもなく 今年は誕生日サザエと安いワイン 好物なのだけどおかずにならず、値が張るというわけで 普段はあまりお目にかかれない、ゆえに誕生日サザエということになる。 私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ コクトー 上田敏訳だろうか おしょうゆと磯の香りの汁を最後まですすって こんなことをつぶやいたら、大昔の記憶が甦った これは蒲原有明 牡蠣の殻なる牡蠣の身の、 ・ かくも涯なき海にして、 生のいのちの味気なき そのおもひこそ悲しけれ。 季節といえばちょっと遅いけど 「勧酒」井伏鱒二の名訳である コノサカズキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ 時は春、 日は朝、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀なのりいで、 蝸牛枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。 こちらはブラウニング 上田敏訳 便利な世の中である これらの詩はじつは最初の数行しか覚えていなかった でね、それだけで検索するとちゃんと出てくるわけ 薄ら酔いで七五調の詩をぶつぶつつぶやいていると 長生きはするもんだとつくづくおもう 年取ってあたしがバカになった分だけ機械はカシコクなってくれた。それでいいじゃないの、昔は良かったかどうか知らないけど、もういちど20歳からやりなおすかと聞かれたら、それはゴメンこうむりたい 歴史を変換した一瞬というのがあるというのは、私の世代の歴史観ではウソ。天下分け目の「そのとき」があるように見えても、ずっと後になればそれは小さな選択に過ぎなかったとわかる。結局歴史のデキゴトはその前の長い歴史に押し出されたものだということがわかる 人だって一緒、人生に分かれ道は多いようでも実はそのとき反対の選択はありえなかった。 そのとき、あたしはこちらの方を選ぶ程度にバカだったというだけ。 それが良かったのかどうかは誰にもわからない 人生を二回やった人はいない ただ、大昔から選ばれなかった無数の人の無数の選択が たぶん、こんな詩になって、おばか人間を時にはいい気持ちにさせてくれている。 現実というものになれなかった無数の選択肢が作る世界は 重なり合って、うちの本棚にも積み上がっていると思えば なんだか、いとおしい。 ![]()
争わず別れて色なき風に座す
お隣は詩人の話胡桃菓子 秋燈水輪のごときフランス語 秋刀魚焼く消えたら困るものいくつ 星月夜テレビの裏に深い井戸 十三夜ポストひんやり手を舐める ヒーローはゆっくり歩く秋曇 ![]() 文学は時代を映す鏡」だからといって、時事をそのまま表現したものばかりではないという例に虚子を挙げました。
どちらに集う人たちもまた現実には経済的人間であり社会的人間でもあります。 ここにたくさんある作品も時代を必ず映しているはずです。 長い歴史の中で現実をそのまま描くことが、そのまま美しいフレーズとなった時代があったでしょうか。 そんな時代はまったく無かったと思います。 ある人にとって、ある階層にとって美しい現実があったとしても、その外側の別の現実はけっして美しいものではなかった。 では、いままであまた創作された「美しいフレーズ」の文学は意味の無いものでしょうか 時代を映してはいないのでしょうか。 そうは思いません。 「美しいフレーズ」もまた時代を映す鏡であることは政治史と不可分の文学史が証明しています。 社会問題を直接的に批判しないことが時代を映していないとはいえません。 これは次の憲法による言論の自由の問題に続きます 「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」 この命題から 「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」 への展開について。 2.後段「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」 前段の終わりに述べた 「社会問題を直接的に批判しないことが時代を映していないとはいえません。」より展開。 法律は人間のすべての行動を規定するものではなく、あくまで行動の一部を制限するものです。 憲法といえども例外は無く、「表現の自由」というとき、もちろんその自由の内容は規定されません。 したがって、その自由の中身には時代に対する立場は規定されていません ゆえに、憲法における表現の自由には「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」という意思はありません。 実は「表現の自由」は現代日本において、「誰でもが生まれながらに持つ権利」の一つと規定されています。一般的に「人権」というわれているものです。 これは、なにも日本国憲法が謳いあげようと無かろうと、人が生まれながらに持っている権利で憲法は「これを保障する」(21-1)といってるだけです。 つまり、国家としてそれを侵害することはしない。侵害するものは排除する。 憲法が言ってるのはそれだけです。 教育の権利や生存権のように憲法があることによって勝ち得たもの、国家によって与えらたものではなく、むしろ人間であることの権利の一部です。 ここで、前段の「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」 からの展開の矛盾が見られると思います。 a.文学は常にどの時代もその時代を映す鏡であった(文学史と政治史の相関) しかし、その時代の反映の形については人間が多様なように多様な形があった(虚子、亜浪 六林男、白泉) b.(aより)日本国憲法は国民に新たに表現権をあたえたのではなく、従来備わっているものの尊重を保障したのみ。 c.ゆえに「憲法で表現の自由が謳われている」から「文学が時代を映す鏡で無くてはならない。」 という論旨は成り立たないとあたしは思うのです。 (なんかトシガイもない・・という言葉が脳裏を掠める・・・) 高校生のしょうもない話
ついむきになって、書いてしまったもの なんかこうゆう文章はなつかしくもこそばゆい・・ ○○さんの言葉について まず 「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」 この命題から 「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」 への展開に無理があるとおもいます。 1.まず最初の「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」から この命題は文学において避けて通ることのできない大テーマです。 肯定的であれ否定的であれ人間の創造する芸術は文学においてのみならず、美術でも音楽でもほかのどんな表現形態でも、その作者の生きる時代を反映します。 ある意味、「逃れられないもの」です。 しかしこれは、「すべての文学は時事を直接的に扱い、その中に生きる人生を描く」という意味ではありません。 時代の流れ、それも疎ましい流れに目を向けず、作為的に無視して文学の創作を試みても、その徹底的に無視するという姿勢こそが、その時代への否定的提言になってしまうという自己矛盾をはらんでいる、という意味も含めての成立する言葉です。 例を挙げます。 俳人高浜虚子は太平洋戦争の4年間、日華事変からだと10年間、戦争の句をまったくといってよいほど読みませんでした。背を向けていたわけです。彼のほぼ60歳代の10年に当たります。 もちろん戦争は激化しましたし、その時代にはその時代に共感される句がたくさんできましたし、戦場にいった俳人は戦場詠を読みました。 そのあいだ、俳句の世界は京大俳句事件という大きな事件があって、時代の矛盾をそのまま詠もうとした人たちは逮捕され、句誌は廃刊されました。 それにはまったく関与せず、一方で、日本文学報国会俳句部という御用団体の部会長をしていた虚子が実は当時の主流であった「皇国俳句」(戦争バンザイ俳句)というものはまったくといってよいほど詠んでいない。 徹頭徹尾、花鳥風月を詠み続けたわけです。 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ 麦の出来悪しと鳴くや行々子 虹立ちて忽ち君のある如し いづれも昭和19年戦局のきわまったころの句です そのころの皇国俳句とはこのようなものです。 敵機去り小菊西日を抱き咲く 臼田亜浪 神州の山桜咲く撃ちてしやまむ 臼田亜浪 京大俳句の人たちの詠んだ戦場詠 哨兵と傷兵が醒め野分の夜 鈴木六林男 繃帯を巻かれ巨大な兵となる 渡辺白泉 このどちらもを無視するというのは並大抵の体力ではありません。 兵燹を逃れて山の月の庵 高浜虚子 こう詠んで背を向け続けた虚子が、時代を映す鏡ではなかったか。 あたしはそうは思いません。 時代にかたくなに背を向けた虚子はそのかたくなさをやはり時代の中で選択せずにいられなかった。つまり彼の選択もまた、時代の反映だったわけです。 足裏に新涼の風生きめやも
さしのべてやわきあしうら寝覚月 黒猫の尾を立ててゆく秋の昼 微醺おび吐息のごとく虫の唄 竜淵に潜む新酒の便りかな ・・・久しぶりによっぱらい~~~~ ![]()
さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮 寂蓮
和歌の骨(こつ)槙(まき)立つ山の夕哉 其角 三夕は西行以外「~~がない」という形式で表現されています あるものではなく、無いものを数える。 三夕に代表される、目に見えないものを挙げることによって、目に見えている世界を表現するのは古今以来の和歌の伝統です、まさに「和歌の骨」かも。 そういえば俳諧は無いものを表現するという手段はあまり持たないような(あることはありますが) それが、和歌との大きな意識の差の一つなのかもしれません。「目の前のものを詠む」ですね。 日本では詩(和歌)は意思の伝達の手段でした 自己表現ではなく、伝達の手段だったから、それを読む人たちに 共通の連想を要求できた。同じ階層の同じ経験を持つ人への伝達ですから。 そこでこそ成り立つ否定表現だといえると思います。 以前聞いた話 太平洋戦争敗戦ののち、占領軍が入ってきたころのことだそうです。 「日本の詩」とはどういうものがあるのか見たい、という要求にある役人が藤村の「千曲川旅情の歌」を出したそうです 苦渋の選択だったでしょう。 和歌や俳句を詩だと認識することはアメリカ人には難しいし そういっても長いのは万葉まで戻らないとありません。 万葉長歌は大方が天皇ばんざいや国ほめですから、こりゃだめと 近代詩に目を移して、完全に情景だけの詩を見つけた・・ そこで、その米兵(といってもだいぶ偉い人だったらしい)のコメント 「なんだこりゃ、この詩は何も書いてないじゃないか」 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず 若草も藉(し)くによしなし ・・・・・・・・ あたたかき光はあれど 野に満つる香りも知らず ・・・・・・・・ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 ・・・ 英語に訳すとnobodyとかnothingばっかり 日本人には自然に浮かび上がる はこべも若草もない風景が彼には見えないわけです。 共通の基盤となる風景がないというのはこういうことなのだなと 改めて思った話でした ちなみに西洋ではどうなるかと申しますとよく似た光景をよく似た感性で書いた詩があります 時代は藤村よりさかのぼりますが、日本なら蕪村の時代の人でしょうか 水 仙 ウィリアム・ワーズワース(田部重治訳) 谷また丘のうえ高く漂う雲のごと、 われひとりさ迷い行けば、 折りしも見出でたる一群の 黄金(こがね)色に輝く水仙の花、 湖のほとり、木立の下に、 微風に翻りつつ、はた、踊りつつ。 天の河(あまのがわ)に輝やきまたたく 星のごとくに打ちつづき、 彼らは入江の岸に沿うて、 はてしなき一列となりてのびぬ。 一目にはいる百千(ももち)の花は、 たのしげなる踊りに頭をふる。
宮藁屋はてしなければ矢倉売 其角
以前この句の意味がわからなくて、ほかの掲示板でやり取りをしたことがあります(途中からはなしがズレたけど・・笑) 「矢倉売」コタツのやぐらを売り歩く人。これは冬の季語(!) 「宮藁屋」これがわからなかったんですよね。 http://sasa.org/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1233&forum=1#forumpost6339 なんと、あれから一年半たった昨日、何気なく読んでいた本で、疑問が一挙に解決、これも本歌取りだったというわけです 本歌は 世の中はとてもかくても同じこと宮もわら屋もはてしなければ 蝉丸 (新古今集) 上のレスの話で氷心さんがおっしゃってたのと近いですよね。 解釈はここにありました。蝉丸とわかってしまえばすぐに出てくるわけです。 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/semimaro.html ここみるとこんなにたくさん派生歌があり、しかもすごいキャスト 西行も定家もあるのよね。有名な歌なんだ。 其角の句は「御殿も庶民の藁屋も日々の営み生死のくりかえしは果てしなく続いていく、その町並みの中を矢倉売りもまた彼の日々のいとなみとして通り過ぎていく」というような意味でしょうか。 家並みがはてしないのではなくて、日々の営みが果てしないの方だったようです。 街のなにげない庶民の生活から季節や人生に思いを寄せるような句は其角の得意とするところ。 越後屋にきぬさく音や衣替え などという代表作もあります。 余談ですがこの句、あたしは初夏の生き生きとした町の様子が描かれていいなとおもうののですが、安東次男は「吉原に居続けたあげくに朝帰りの男のうしろめたい寂しさ」だとか書いていました。いかがなもんでありませうや・・ ![]() このとき読んでいたのは例によって百円均一の箱から掘り出した でもこれはちょっと掘り出し物 「江戸文学研究」藤井乙男 大正十一年 京都 内外出版発行 一ヶ月ほど前にうちの近所のブックオフみたいな古本屋で見つけたのですが、藤井乙男という名前に聞き覚えがありました。 近松の研究をしていた京大の先生だったはず。改めて調べると近世全般が専門で江戸庶民文学の研究者だったようです。 この中に「西山宗因」という一節があり、思い出して見直していたわけです。 藤井さんは宗因の連句を貞徳派の連句と比較して 「漢語や俗語の使ひ方が一層自由であって巧みに人事より材料をとり、人情を穿ち、附合は言葉の縁にすがること少なくして前句の意味を受くることが多い」と紹介しています。 その発句については、「貞徳派の句と同じく掛言葉や縁語にすがった洒落もあるけれども、その洒落以外に自ら詩趣ありて才気の豊かなることはとうてい貞徳派の及ぶところではない」 と評価したあとでいくつかの句をあげています そのなかに 峰入りは宮もわらち゛の旅路かな を上げ、その本歌に先ほどの蝉丸の歌を挙げているというわけです。 ちなみにこの本、ぼろぼろだけど、100円は気の毒。 この本と一緒に掘り出したのは、MORE WANDERINGS IN LONDON ルーカスという人の書いた洋書、1929年ニューヨークで発行されています。アメリカ人向けのロンドン案内のような本です。こちらも100円 どんな本棚からやってきたのでしょうね。 ![]() < 前のページ次のページ >
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