人気ブログランキング | 話題のタグを見る

東京電力を責めても・・

東電が批判にさらされている。
たしかに要領の悪さが目立つのだけど、批判を覚悟でいえばそんなに責めるのもかわいそうだと思う。
マグネチュード9.0の地震はたぶん1000年に1回というのは当たってる
チリ地震津波のマグネチュード9.5が有史以来の規模と言われているが今回の津波の規模はそれよりはるかに大きい。それはもう天災で被害があまりにも大きくて言いにくいがこれは不可抗力だ。
津波の予想が甘いと言っている人がいるがマグネチュード9.0を想定した建造物は世界のどこにもないと思う。福島原発の設計時に予想された津波は2002年の補強後で5.7m(同地点のチリ地震津波の1.5倍)かりにこの想定を3倍にしていても今回の津波は避けられなかった。

われわれが住んでいる日本列島はこういう1000年に一回の天変地異を何百回も繰り返して現在の形になった。地球上がだいたい現在の地形になってからを地学では第四紀という。250万年ぐらい前のこと。
第四紀に成立した日本列島はそれから1000年に一度を2500回繰り返して現在の形になったと思ってもいい。
私たちは地形を学ぶとき三角州や扇状地という名前を聞く、これらほんの小さな局地的地形でも10年に一回100年に一回の台風や山津波いわゆる天変地異でできたもの。山脈も盆地も天変地異の結果であることは同じ。

さらに日本人は稲作文化の民だから、居住地にまず真水を求める。日本のすべての都市は広さにかかわらず水利のいい平地に成立している。

第四紀の地形変動で弓なりに折れ曲がりながらできた今の列島は日本背梁山脈といわれる背骨に薄く張り付いた部分しか平野を持たない、したがって大都市はみんな沿岸に成立する。
もともと、水利のいい(川のある)海べりの平野(氾濫原)にひとが集まって住むということそのものが防災上の弱点を作っていることになる。

だからといって日本人は山の中に散在して住むこのはもはやできない
主食は低湿地のコメだし都市文化は爛熟してる。

ただ地面をほじくり返している地理学や考古学は「あきらめよ」と言っているばかりでもない。
考古学者がなぜ地面を掘るのか考えてみよう。人々の生活の場が何もないのに自然に地中に沈んでいったわけではない。すべての弥生遺跡が地中にあるということは、結局のところ2000年たてばひとの暮らす地表にはなにかしらの天変地異が起こりその上になかったはずの土壌を運んだわけである。
そしてその上に新しい生活が築かれ新しい地表ができる。
だからこその発掘。
見捨てられた平城京は発掘前広大な水田とイチゴとスイカの畑だったけど平城京の人々が丁寧に柱を抜いて整地して京都へ移ったとは考えにくいもの。

今はまだそんな話をする時期ではないがもう少し落ち着いたら、自然地理学や地形学は発言すべきだと思う、

たしかに今回の大震災の被害とその復旧に原発は大きな問題を起こしている、被災地から遠く離れた関東の人々にとって東京電力の事故は今回の大震災を「対岸の火事」ではすませてくれなかった。その感情的な怒り「東電のせいで遠くの地震で東京までえらい目にあう」そんな気持ちが東電に集中する批判の一部になっているように思う。
マイクロシーベルトの単位におびえる都民の怒りのはけ口にもなっている。

しかし東京にとって日本のどの地域も経済的に対岸ではない。大都市は日本だけでもないがあらゆるところに依存して存在する、一方で「今までの電力は福島の人々の犠牲によって賄われていた」というのも間違い。東電の原発は間違いなく福島県に1万人規模の雇用を創出していた。この不可分の関係を地理学なら少し説得力のある形で説明できるし前向きの提案もできる。
地形学もおなじ、日本列島に住む基本的なリスクとなぜ住み続けていたかについて発言できる、それは今後についての基本的な提案の役に立つ。

津波は天災、原発は人災とわりきって一企業の問題。政府の対応の問題をいくら追求しても何の役にも立たない。
by kokichi50 | 2011-03-30 07:47 | 近隣のみなさま


<< 「戦争責任を議論する」 >>