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矢倉売再考

宮藁屋はてしなければ矢倉売   其角

以前この句の意味がわからなくて、ほかの掲示板でやり取りをしたことがあります(途中からはなしがズレたけど・・笑)
「矢倉売」コタツのやぐらを売り歩く人。これは冬の季語(!)
「宮藁屋」これがわからなかったんですよね。

http://sasa.org/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1233&forum=1#forumpost6339


なんと、あれから一年半たった昨日、何気なく読んでいた本で、疑問が一挙に解決、これも本歌取りだったというわけです

本歌は
 世の中はとてもかくても同じこと宮もわら屋もはてしなければ 
                蝉丸 (新古今集)

 上のレスの話で氷心さんがおっしゃってたのと近いですよね。
解釈はここにありました。蝉丸とわかってしまえばすぐに出てくるわけです。
 
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/semimaro.html

ここみるとこんなにたくさん派生歌があり、しかもすごいキャスト
西行も定家もあるのよね。有名な歌なんだ。

 其角の句は「御殿も庶民の藁屋も日々の営み生死のくりかえしは果てしなく続いていく、その町並みの中を矢倉売りもまた彼の日々のいとなみとして通り過ぎていく」というような意味でしょうか。
家並みがはてしないのではなくて、日々の営みが果てしないの方だったようです。

街のなにげない庶民の生活から季節や人生に思いを寄せるような句は其角の得意とするところ。

  越後屋にきぬさく音や衣替え

などという代表作もあります。
余談ですがこの句、あたしは初夏の生き生きとした町の様子が描かれていいなとおもうののですが、安東次男は「吉原に居続けたあげくに朝帰りの男のうしろめたい寂しさ」だとか書いていました。いかがなもんでありませうや・・


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このとき読んでいたのは例によって百円均一の箱から掘り出した
でもこれはちょっと掘り出し物

 「江戸文学研究」藤井乙男  大正十一年 京都 内外出版発行

一ヶ月ほど前にうちの近所のブックオフみたいな古本屋で見つけたのですが、藤井乙男という名前に聞き覚えがありました。
近松の研究をしていた京大の先生だったはず。改めて調べると近世全般が専門で江戸庶民文学の研究者だったようです。

この中に「西山宗因」という一節があり、思い出して見直していたわけです。
藤井さんは宗因の連句を貞徳派の連句と比較して
「漢語や俗語の使ひ方が一層自由であって巧みに人事より材料をとり、人情を穿ち、附合は言葉の縁にすがること少なくして前句の意味を受くることが多い」と紹介しています。

その発句については、「貞徳派の句と同じく掛言葉や縁語にすがった洒落もあるけれども、その洒落以外に自ら詩趣ありて才気の豊かなることはとうてい貞徳派の及ぶところではない」

と評価したあとでいくつかの句をあげています
そのなかに
 
 峰入りは宮もわらち゛の旅路かな

を上げ、その本歌に先ほどの蝉丸の歌を挙げているというわけです。

ちなみにこの本、ぼろぼろだけど、100円は気の毒。
この本と一緒に掘り出したのは、MORE WANDERINGS IN LONDON ルーカスという人の書いた洋書、1929年ニューヨークで発行されています。アメリカ人向けのロンドン案内のような本です。こちらも100円

どんな本棚からやってきたのでしょうね。 





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by kokichi50 | 2006-08-07 14:35 | 俳句的空想


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