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そこに立ってなさい

教育再生会議の報告案がまとまった
・いじめる子どもに対する「出席停止」措置。
・体罰に関する基準の見直し。

このへんが両論のあるところだろう

出席停止してその子供たちの面倒は誰が見るのか
その子供たちこそ面倒を見てくれる人間がいないケースが多いのは誰だって知ってる。
学校という唯一のよりどころから追い出してその子達の行く場所がコンビニ前の路上であったとして、それが教育再生なんだろうか。
いじめの問題は切実だ、被害者にとってはきれい事ではすまない。
しかしその対策が教師によるいじめっ子に対するイジメでしかないとしたら、別に法律も国家もいらない。
ここで必要なのはより手厚いケアであり人員の増強だとおもう

30人学級に教師が二人付いたら、学校は子供のシェルターになることが出来る。

「子供はまずその親から守られなければならない」
といわれたのは19世紀のイギリスだけど
21世紀の日本だってそれは同じ。
それこそが公教育の基本的理念の一つだったはず、
お金と余裕と有り余る愛のあふれている環境にいる子供には公教育は必要とされない。
公教育は誰のためにあるのか、そんなことを教育再生会議のあのメンバーは考えないのだろうか。

子供は問題のある子供ほど学校から出してはいけない
イジメた子供には、登校停止処分より、学校に寝泊りさせて学校から出ちゃいけませんって下校停止処分が相当。
これが大人の子供に対する責任の取り方ってものじゃないだろうか。

体罰については対象の範囲と手段についてあまりにも多様なので一概には言えないと思う
ただ教師が生徒の人生を左右するほど絶対的な力を持っている現在、それこそ弱いものいじめとの区別は難しい。
誰が判断するのか。
だれが責任を持ってこの行為は教育だと判断するのか

昔のこと、ある新卒のオバカ教師は、職員室にチョーク箱を忘れた。
一番前の腰の軽そうな坊やに「あ・・忘れてきた、ちょっと取ってきてよ」「ほいよ」
彼は10メートルほど離れた職員室へ走ってくれた。

このオバカ教師はあとでしかられた。
「それは子供の教育権の侵害なのよ、教室を離れることを指示しちゃダメ」

あほらしい・・・と思いつつ、オバカ教師はちょっと感動した。
こういう教条的なルールを守ることで、その次の崩れを防いでいる。人間を人間が教育するということの難しさを熟知している人のことばなんだなぁって。
オバカ教師をしかった先生は次の一歩が怖かったんだとおもう
今回は2分でも次は15分かもしれない、次は・・

体罰の基準はいったん崩れるとどうなるのか

そこに立ってなさい」から「外に立ってなさい」までは
ものすごく近い


そこに立ってなさい_d0037379_23184168.jpg
by kokichi50 | 2007-01-20 23:19 | 近隣のみなさま


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