国歌

d0037379_21172987.jpg建国記念日だそうである
新聞もテレビもなにもいわないので今日がだったか明日なのかおぼろげ。
とりあえず晴れの特異日ということで東京は晴天だった。
80代の母は「とにかく今日は晴れるのよ、雨が降った記憶がない・・」と申します。たぶん忘れているだけでしょうけど。

君が代がどーのこーのと検挙者まで出すさわぎなので、
いっそのこと新しい国歌を制定してみたら・・
そんな話を以前したことがあります。

「あれ歌うと負けそうな気がする」
サッカーの試合の前に歌うのしか知らない息子3はメイワクそう
「まともに歌うとものすごくむつかしい、ブレスがない」
混声合唱団にいた息子1は申します。
息子2はコメントなし。(この子は蛍の光も「窓の雪踏み読む
月日~」と信じてた)

勝負強そうで、唄いやすい歌

~めでためで~たぁのぉ若松さ~まぁ~よ~
枝も~しげぇれ~ば~葉も~しぃげぇるぅ~~

合いの手も入って、景気はいいし唄いやすい
サッカーの試合の前にこれで競技場が盛り上がるってのも悪くない。

君が代は誰が決めたかしらないけど
初出は万葉集、でもね
室町後期に成立した「閑吟集」という歌集に出てくる
「閑吟集」は中世歌謡の集大成で、後の小唄や一中節など三味線にのせる歌の元になった、歌謡の採集本だからもちろんすべて読み人知らず。

この本にこの「若松様」も一緒に出てくる
何でこっちにしなかったんだろう・・・
薩長土肥の田舎侍にはむりなセンスだったんでしょうか
直参だったらと歴史のifに思いをはせています。


とにもかくにも
国歌というのは良くも悪くも国民性の発露であるべきです ヤマト民族にはタタカイは似合わない
とにかく勝利よかおめでたいほうが好きなんですな

「おめでたい」という思想はおそらく日本独自のもので
いくら説明してもほかの国の人には理解しにくいものだと思います。
具体的に何がどうなる、というわけではない。
なぜ、鯛がめでたいか、紅白がめでたいか、昆布がめでたくて
と考えていくと、鯛はめでたいのタイ・・なんてもとにもどってしまうのもあります
松竹梅も理由は三種類別々で、鶴亀は長寿、笑いはとにかくいいことなんだろう。
おめでたいものの集大成ともいえる重箱の中を見ても
ごまめ(マメに) こぶまき(よろこんで) かずのこ(子沢山) 紅白なます(なんか紅白) ・・・
とにかく、敵が想定されていない。自分たち(これもあいまい、このあたりのぐらい)の平安なんですよね。

あたしこの国民性がだいすき、よくぞ日本に生まれけりとおもってます。

つまり、サッカーの試合なんてお祭りなんだからさぁ
オリンピック、うんお祭り
卒業式 入学式 うん お祭りお祭り

君が代だって良く見れば、「千代に八千代に」の歌
閑吟集のころ、おそらくは江戸の終わりまでは宴会の〆に吟じられる歌だったわけです。
この「君」は大君の時代から天皇のことだったでしょうが
日本人の心には「君」の長寿は天下泰平(これ究極のめでたさ)の象徴だっただけだと思うんですよね。

サッカーで勝つぐらいがちょうどいい勝利
みんなで盛り上がるこれが大事

となれば、「若松祝い歌」(これが名前らしい)なんか・・
とおもうわけです。会津がいばるという説もあるようですが
このうた、博多山笠でも〆の祝い歌として唄われるそうです。
でね二番がいいの

 めでためでたの若松様よ
 枝も栄えて木も茂る

 ここのおうちはめでたいおうち
 鶴と亀とが舞い踊る

見よ、この究極のテキトウさ
しかし、これ唄うと試合なんかどうでも良くなってしまう感じはするなぁ 
スポーツ用とその他用に二種類用意するってのもありでしょうか。
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# by kokichi50 | 2007-02-14 21:18 | 近隣のみなさま

建国記念日

建国記念日はすっかり「タダの休み」になってしまったようだけど
どうなんでしょうね

美智子皇后は講演の中で
古事記のヤマトタケルノミコトの物語を
「民族の子供時代のようなこの太古の物語」とおっしゃいました。
うまいなぁと感心。
確かに神話と歴史を結びつけて事実と相違するとか事実だとか争うことは意味がないですよね
あれは民族の子ども時代の記憶なんだと
そういわれてみると神話に対する現代人の正しい立ち位置が解るような気がします

子供のころの記憶は、トイレに出てきた蜘蛛は30センチぐらいあったような気がするし、獅子舞のタイコの音は不安で隠れてしまいたくなるようなもの。不思議な真実なんですよね。

民族として共通に持つ子ども時代の記憶としての神話ならば
子供にとって、
初めて一人で夜トイレに行った日が最初の「自己確立記念日」であるように
神武東征ののちの即位の日(といわれている日)が建国記念日であって別に不都合はないようにおもうのです。

なにしろ当代皇后の公式発言ですからね
カシコイ人だとは思っていたけど、
こんなにするっとすごいこといっちゃって・・・

外交的には日本のナショナルデーは天皇誕生日
建国記念日は別にあるってことはあまり知られていません
「夫の誕生日より民族の小さいころの記憶の日を」
深読みするとそんなふうにも見えます(笑)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/26ibby.html
全文はこちら


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# by kokichi50 | 2007-02-13 17:22 | 近隣のみなさま

親の責任

子供の問題行為は親の責任と
二人の方に教えていただいて、ややへこんでいます。

考えてみればうちなんかなにもしてこなかった。
男の子が三人。上の一組は年子です
ひどいときは0歳3歳4歳とか 小学校に3人とかにぎやかなものでした

小学校の保護者会なんか上の子のクラスには「下に行きます
」下の子のクラスには「上の子のクラスに・・・」といって顔だけ出して逃げることになってました。
子供の友達はわかりますが、その親となっては顔も知りません。
6年で3回しか行かなかった学校もあります。
卒業式で挨拶されて「おやまぁ。。」って毎年やってました。

とりあえず食べさせて、着させて、学校には言われただけのお金を払ってそれでおしまい。それでせいいっぱい。
子供の個性なんて考えたこともなく、
気がつけばそれぞれ道を見つけて出て行こうとしています。

あたし自身は一人っ子でした
そのころとしては珍しかったかも知れません

ぼんやりした子供でしたので親は気になったことでしょう
とにかく学校のうわさは子供より親のほうが良く知っているような状態でした。
それが別に役たったようにも思わなかったので、自分の子供は完全に手抜き。

子供は親の責任といわれてへこむゆえんです。
「お母さんががんばってあげたから、今のあんたたちがある」
そういったら
一号は「そうかなぁ・・」から始まって理路整然と矛盾を指摘するでしょう。二号は「わかったわかった、もういいから」
三号はマジメな顔で「医者に行ったほうがいいよ、勧めるよ」
って言うに違いありません。
そりゃそうだ。

でも、ほんとのところどんな小学校時代だったのでしょう
久しぶりにゆっくり、あらためて彼らの小学生時代の話を聞いてみたい気持ちです。
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# by kokichi50 | 2007-01-24 21:43 | 近隣のみなさま

そこに立ってなさい

教育再生会議の報告案がまとまった
・いじめる子どもに対する「出席停止」措置。
・体罰に関する基準の見直し。

このへんが両論のあるところだろう

出席停止してその子供たちの面倒は誰が見るのか
その子供たちこそ面倒を見てくれる人間がいないケースが多いのは誰だって知ってる。
学校という唯一のよりどころから追い出してその子達の行く場所がコンビニ前の路上であったとして、それが教育再生なんだろうか。
いじめの問題は切実だ、被害者にとってはきれい事ではすまない。
しかしその対策が教師によるいじめっ子に対するイジメでしかないとしたら、別に法律も国家もいらない。
ここで必要なのはより手厚いケアであり人員の増強だとおもう

30人学級に教師が二人付いたら、学校は子供のシェルターになることが出来る。

「子供はまずその親から守られなければならない」
といわれたのは19世紀のイギリスだけど
21世紀の日本だってそれは同じ。
それこそが公教育の基本的理念の一つだったはず、
お金と余裕と有り余る愛のあふれている環境にいる子供には公教育は必要とされない。
公教育は誰のためにあるのか、そんなことを教育再生会議のあのメンバーは考えないのだろうか。

子供は問題のある子供ほど学校から出してはいけない
イジメた子供には、登校停止処分より、学校に寝泊りさせて学校から出ちゃいけませんって下校停止処分が相当。
これが大人の子供に対する責任の取り方ってものじゃないだろうか。

体罰については対象の範囲と手段についてあまりにも多様なので一概には言えないと思う
ただ教師が生徒の人生を左右するほど絶対的な力を持っている現在、それこそ弱いものいじめとの区別は難しい。
誰が判断するのか。
だれが責任を持ってこの行為は教育だと判断するのか

昔のこと、ある新卒のオバカ教師は、職員室にチョーク箱を忘れた。
一番前の腰の軽そうな坊やに「あ・・忘れてきた、ちょっと取ってきてよ」「ほいよ」
彼は10メートルほど離れた職員室へ走ってくれた。

このオバカ教師はあとでしかられた。
「それは子供の教育権の侵害なのよ、教室を離れることを指示しちゃダメ」

あほらしい・・・と思いつつ、オバカ教師はちょっと感動した。
こういう教条的なルールを守ることで、その次の崩れを防いでいる。人間を人間が教育するということの難しさを熟知している人のことばなんだなぁって。
オバカ教師をしかった先生は次の一歩が怖かったんだとおもう
今回は2分でも次は15分かもしれない、次は・・

体罰の基準はいったん崩れるとどうなるのか

そこに立ってなさい」から「外に立ってなさい」までは
ものすごく近い


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# by kokichi50 | 2007-01-20 23:19 | 近隣のみなさま

あの日

あの日、朝7時ごろいつものようにテレビをつけた
阪急伊丹駅の様子が映っていた
「これどこ? どこなの?」
「伊丹って出てる、大阪空港か?」

死者2名、宿直室の駅員さんがガードの下敷きになって亡くなられた・・・これが最初に見たニュースだった
大阪の実家に電話したがもう通じなかった。

落ち着け落ち着け・・と口の中でつぶやきながら
テレビを見つめた
阪急伊丹線は大阪北部を南北に走っている
池田の被害が出ているという
考えれば、神戸方面の様子はまだ報道機関も掴んでいなかった

付近の住宅は東西に倒壊しているように見えた
「テレビは放映している、大阪北部の被害に中央区のテレビ局が動いているのだから、実家のある南大阪はなんとか助かっているのではないか」

「京都がやられたかもしれん」
「花折か有馬-高槻か・・・」
花折断層は京都の北部花折峠から南に走る関西有数の活断層。有馬-高槻構造線は淀川の北岸を西国街道ぞいに走る断層の束。
これらの断層は京都中心部を通って、桂、天王山のふもとをへて池田、伊丹へ、一部は六甲山の海側まで続いているはずだった
これらが動いたら・・・というのは学生時代いやというほど聴いた話である。でも関西人にとってはやっぱり地震は遠い話だった。

足が震えた。


神戸の惨状が報道され、野島断層という無名の小さな断層が動いたと聞いたのはその数時間後。

京都で学生時代をすごした。地理学をかじっていた。
それでも野島という断層は有馬-高槻の一部とはいえ、そういえばあったな。。ぐらいの認識。それが数メートル動いただけで、あの大災害だった。

友人、親戚、知人、もう数え切れないほどの人が罹災した
幸い、直接の知人で亡くなった人はいなかったけど。
7日ほどたって、やっとつながった電話に
「あたし、なんかできることないの?」
「ない・・ウチはみんな生きてるから」
友人の返事に改めて惨事のものすごさを知った。

大阪市内以南はとりあえず難をのがれた
「堺(実家)が待ってるからとりあえず逃げておいでよ」
幼馴染にそういったら
「ここにいてるわ、半壊やから家は住める。人がいなくなったらいつまでもアカンやないの」
ご近所のお年寄り助けてマンションの8階まで水をはこび続けたらしい。
ぼんやり奥さんが見違えるようにしっかりして
みんなすごかった。

あれからもう12年もたったなんてウソのよう
避難所には置けないからとたった一人で歩いて阪急電車に乗り
飼っていた猫を石橋のおじいちゃんちまであずけにきて
「おかあさんまってるから」
といって小学校の講堂の避難所へ帰って行った友人の子供も今年成人式。

あのとき神戸の人は立派だった
亡くなった多くの人への慰霊とともに
助かった人たちのがんばりもわすれられない
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# by kokichi50 | 2007-01-17 22:14 | 近隣のみなさま

このごろ

  争わず別れて色なき風に座す

  お隣は詩人の話胡桃菓子

  秋燈水輪のごときフランス語


  秋刀魚焼く消えたら困るものいくつ

  星月夜テレビの裏に深い井戸

  十三夜ポストひんやり手を舐める


  ヒーローはゆっくり歩く秋曇


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# by kokichi50 | 2006-11-04 19:59 | 俳句的空想

神田古本祭

吉例により出陣
今日はいいお天気でものすごい人出
明日は雨という予報もあって今日に集中した模様
なにしろ、靖国通り さくら通り 駿河台下から専修大学前までぎっしり露天の売り場が並びます。

これは計画的に回らないと・・・ってことでまず駿河台下のマックで一人作戦会議
中世俳諧の八木書店 近代韻文全般の誠志堂ははずせない
ほかに面白本(エッセイとか)の小宮山 全集の田村
ということは、靖国通りは制覇ということに
駿河台下から九段にむかって進みはじめる。

コツはその書店の専門分野の本をみること
もうひとつは思いっきり離れた本を探すこと

八木書店は神保町で唯一「俳諧」というタイトルの棚をもっている。
連歌全集 中世歌謡 俳諧注釈 なんかがおとくい(のはず)
久しぶりに入ったら棚が作家順にぶち込みになっているのは古本祭り特別バージョンなのかな・・・

店の前のワゴンで「続芭蕉俳諧研究」ゲット
昭和5年発行定価二円八十銭岩波書店のしゃれた装丁
このころのいい単行本は天金といって本の上側に金箔が刷いてある。これもそれ。
もう唖然とする執筆陣でかえって爆笑してしまう。
山田孝雄 阿部次郎 小牧健夫 村松典嗣 太田正雄 小宮豊隆 土居光知 岡崎義恵・・・
この大先生たちが続猿蓑とひさごの歌仙二巻について語り合うという本、岩波だからできたんだろうなしかしねぇ
まだ読んでないけど、どうまとまるんだろう。ひとごとながら気になる話です。

数メートル歩いて、やはりワゴンから大阪言葉辞典 カバーなしで格安200円

さらに数メートル 谷内修三さんの詩のアンソロジー、亡くなられて寂しいです。

さらに数メートル 「近松浄瑠璃集上中下」 明治45年発行のクロス張り金装丁の小型版三冊 これ三冊1500円はお安いかも

「荷風全集」 バラで三冊 一冊500円 4.6.7.巻 初期の小説です、実はこの全集後半の10冊は例の日記(断腸亭日乗)それも後半はお天気だけ記入の日が延々と続くのをあたしは知っている・・・これでヨシ

ほかに200円で全集割れの今昔物語、岩野泡鳴集・・

ほかいろいろ・・・
予算6000円は終了、重量7キロ もうこの辺で限界
ってことで半分も見ない退場・・

絶版文庫新書コーナーってのがあってものすごいひと
あすあれを再度攻撃するかどうか・・しかし疲れた
古本市で体力切れとは・・トシなのかトレーニング不足なのか、見渡しあたしより年上のおじさん75パーセント
要はあたしは気力不足なんだ・・・ウン

買った本については少しづつ・・

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# by kokichi50 | 2006-10-31 20:48 | 貧乏人の古本日記

続き

文学は時代を映す鏡」だからといって、時事をそのまま表現したものばかりではないという例に虚子を挙げました。


どちらに集う人たちもまた現実には経済的人間であり社会的人間でもあります。
ここにたくさんある作品も時代を必ず映しているはずです。

長い歴史の中で現実をそのまま描くことが、そのまま美しいフレーズとなった時代があったでしょうか。
そんな時代はまったく無かったと思います。

ある人にとって、ある階層にとって美しい現実があったとしても、その外側の別の現実はけっして美しいものではなかった。

では、いままであまた創作された「美しいフレーズ」の文学は意味の無いものでしょうか
時代を映してはいないのでしょうか。
そうは思いません。
「美しいフレーズ」もまた時代を映す鏡であることは政治史と不可分の文学史が証明しています。

 社会問題を直接的に批判しないことが時代を映していないとはいえません。

これは次の憲法による言論の自由の問題に続きます

「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」

この命題から

「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」
への展開について。

2.後段「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」

前段の終わりに述べた
「社会問題を直接的に批判しないことが時代を映していないとはいえません。」より展開。

法律は人間のすべての行動を規定するものではなく、あくまで行動の一部を制限するものです。
憲法といえども例外は無く、「表現の自由」というとき、もちろんその自由の内容は規定されません。
したがって、その自由の中身には時代に対する立場は規定されていません

ゆえに、憲法における表現の自由には「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」という意思はありません。

実は「表現の自由」は現代日本において、「誰でもが生まれながらに持つ権利」の一つと規定されています。一般的に「人権」というわれているものです。
これは、なにも日本国憲法が謳いあげようと無かろうと、人が生まれながらに持っている権利で憲法は「これを保障する」(21-1)といってるだけです。

つまり、国家としてそれを侵害することはしない。侵害するものは排除する。
憲法が言ってるのはそれだけです。

教育の権利や生存権のように憲法があることによって勝ち得たもの、国家によって与えらたものではなく、むしろ人間であることの権利の一部です。

ここで、前段の「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」
からの展開の矛盾が見られると思います。

a.文学は常にどの時代もその時代を映す鏡であった(文学史と政治史の相関)
しかし、その時代の反映の形については人間が多様なように多様な形があった(虚子、亜浪 六林男、白泉)

b.(aより)日本国憲法は国民に新たに表現権をあたえたのではなく、従来備わっているものの尊重を保障したのみ。

c.ゆえに「憲法で表現の自由が謳われている」から「文学が時代を映す鏡で無くてはならない。」
という論旨は成り立たないとあたしは思うのです。

  (なんかトシガイもない・・という言葉が脳裏を掠める・・・)
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# by kokichi50 | 2006-10-19 17:38 | 俳句的空想

高校生相手に・・・

高校生のしょうもない話
ついむきになって、書いてしまったもの
なんかこうゆう文章はなつかしくもこそばゆい・・

○○さんの言葉について
まず

「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」

この命題から

「それは憲法で表現の自由が謳われているからに他ならない」
への展開に無理があるとおもいます。

1.まず最初の「文学は時代を映す鏡で無くてはならない。」から

この命題は文学において避けて通ることのできない大テーマです。
肯定的であれ否定的であれ人間の創造する芸術は文学においてのみならず、美術でも音楽でもほかのどんな表現形態でも、その作者の生きる時代を反映します。
ある意味、「逃れられないもの」です。

しかしこれは、「すべての文学は時事を直接的に扱い、その中に生きる人生を描く」という意味ではありません。
時代の流れ、それも疎ましい流れに目を向けず、作為的に無視して文学の創作を試みても、その徹底的に無視するという姿勢こそが、その時代への否定的提言になってしまうという自己矛盾をはらんでいる、という意味も含めての成立する言葉です。


例を挙げます。

俳人高浜虚子は太平洋戦争の4年間、日華事変からだと10年間、戦争の句をまったくといってよいほど読みませんでした。背を向けていたわけです。彼のほぼ60歳代の10年に当たります。

もちろん戦争は激化しましたし、その時代にはその時代に共感される句がたくさんできましたし、戦場にいった俳人は戦場詠を読みました。
そのあいだ、俳句の世界は京大俳句事件という大きな事件があって、時代の矛盾をそのまま詠もうとした人たちは逮捕され、句誌は廃刊されました。

それにはまったく関与せず、一方で、日本文学報国会俳句部という御用団体の部会長をしていた虚子が実は当時の主流であった「皇国俳句」(戦争バンザイ俳句)というものはまったくといってよいほど詠んでいない。

徹頭徹尾、花鳥風月を詠み続けたわけです。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ
 麦の出来悪しと鳴くや行々子
 虹立ちて忽ち君のある如し

いづれも昭和19年戦局のきわまったころの句です
そのころの皇国俳句とはこのようなものです。

 敵機去り小菊西日を抱き咲く  臼田亜浪
 神州の山桜咲く撃ちてしやまむ  臼田亜浪

京大俳句の人たちの詠んだ戦場詠

 哨兵と傷兵が醒め野分の夜  鈴木六林男
 繃帯を巻かれ巨大な兵となる  渡辺白泉

このどちらもを無視するというのは並大抵の体力ではありません。
 
 兵燹を逃れて山の月の庵 高浜虚子

こう詠んで背を向け続けた虚子が、時代を映す鏡ではなかったか。
あたしはそうは思いません。
時代にかたくなに背を向けた虚子はそのかたくなさをやはり時代の中で選択せずにいられなかった。つまり彼の選択もまた、時代の反映だったわけです。
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# by kokichi50 | 2006-10-19 17:37 | 俳句的空想

にくきゅう

足裏に新涼の風生きめやも

さしのべてやわきあしうら寝覚月

黒猫の尾を立ててゆく秋の昼

微醺おび吐息のごとく虫の唄

竜淵に潜む新酒の便りかな


・・・久しぶりによっぱらい~~~~



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# by kokichi50 | 2006-09-25 17:53 | 俳句的空想

見えないものを

さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮 寂蓮
 和歌の骨(こつ)槙(まき)立つ山の夕哉          其角    

三夕は西行以外「~~がない」という形式で表現されています

あるものではなく、無いものを数える。
三夕に代表される、目に見えないものを挙げることによって、目に見えている世界を表現するのは古今以来の和歌の伝統です、まさに「和歌の骨」かも。

そういえば俳諧は無いものを表現するという手段はあまり持たないような(あることはありますが)
それが、和歌との大きな意識の差の一つなのかもしれません。「目の前のものを詠む」ですね。

日本では詩(和歌)は意思の伝達の手段でした
自己表現ではなく、伝達の手段だったから、それを読む人たちに
共通の連想を要求できた。同じ階層の同じ経験を持つ人への伝達ですから。
そこでこそ成り立つ否定表現だといえると思います。

以前聞いた話
太平洋戦争敗戦ののち、占領軍が入ってきたころのことだそうです。
「日本の詩」とはどういうものがあるのか見たい、という要求にある役人が藤村の「千曲川旅情の歌」を出したそうです

苦渋の選択だったでしょう。
和歌や俳句を詩だと認識することはアメリカ人には難しいし
そういっても長いのは万葉まで戻らないとありません。
万葉長歌は大方が天皇ばんざいや国ほめですから、こりゃだめと
近代詩に目を移して、完全に情景だけの詩を見つけた・・

そこで、その米兵(といってもだいぶ偉い人だったらしい)のコメント

「なんだこりゃ、この詩は何も書いてないじゃないか」

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
  ・・・・・・・・
あたたかき光はあれど
野に満つる香りも知らず
  ・・・・・・・・
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛 ・・・

英語に訳すとnobodyとかnothingばっかり
日本人には自然に浮かび上がる
はこべも若草もない風景が彼には見えないわけです。
              
共通の基盤となる風景がないというのはこういうことなのだなと
改めて思った話でした

ちなみに西洋ではどうなるかと申しますとよく似た光景をよく似た感性で書いた詩があります
時代は藤村よりさかのぼりますが、日本なら蕪村の時代の人でしょうか

水 仙
            ウィリアム・ワーズワース(田部重治訳)

谷また丘のうえ高く漂う雲のごと、
われひとりさ迷い行けば、
折りしも見出でたる一群の
黄金(こがね)色に輝く水仙の花、
湖のほとり、木立の下に、
微風に翻りつつ、はた、踊りつつ。

天の河(あまのがわ)に輝やきまたたく
星のごとくに打ちつづき、
彼らは入江の岸に沿うて、
はてしなき一列となりてのびぬ。
一目にはいる百千(ももち)の花は、
たのしげなる踊りに頭をふる。
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# by kokichi50 | 2006-09-16 21:48 | 俳句的空想

矢倉売再考

宮藁屋はてしなければ矢倉売   其角

以前この句の意味がわからなくて、ほかの掲示板でやり取りをしたことがあります(途中からはなしがズレたけど・・笑)
「矢倉売」コタツのやぐらを売り歩く人。これは冬の季語(!)
「宮藁屋」これがわからなかったんですよね。

http://sasa.org/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1233&forum=1#forumpost6339


なんと、あれから一年半たった昨日、何気なく読んでいた本で、疑問が一挙に解決、これも本歌取りだったというわけです

本歌は
 世の中はとてもかくても同じこと宮もわら屋もはてしなければ 
                蝉丸 (新古今集)

 上のレスの話で氷心さんがおっしゃってたのと近いですよね。
解釈はここにありました。蝉丸とわかってしまえばすぐに出てくるわけです。
 
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/semimaro.html

ここみるとこんなにたくさん派生歌があり、しかもすごいキャスト
西行も定家もあるのよね。有名な歌なんだ。

 其角の句は「御殿も庶民の藁屋も日々の営み生死のくりかえしは果てしなく続いていく、その町並みの中を矢倉売りもまた彼の日々のいとなみとして通り過ぎていく」というような意味でしょうか。
家並みがはてしないのではなくて、日々の営みが果てしないの方だったようです。

街のなにげない庶民の生活から季節や人生に思いを寄せるような句は其角の得意とするところ。

  越後屋にきぬさく音や衣替え

などという代表作もあります。
余談ですがこの句、あたしは初夏の生き生きとした町の様子が描かれていいなとおもうののですが、安東次男は「吉原に居続けたあげくに朝帰りの男のうしろめたい寂しさ」だとか書いていました。いかがなもんでありませうや・・


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このとき読んでいたのは例によって百円均一の箱から掘り出した
でもこれはちょっと掘り出し物

 「江戸文学研究」藤井乙男  大正十一年 京都 内外出版発行

一ヶ月ほど前にうちの近所のブックオフみたいな古本屋で見つけたのですが、藤井乙男という名前に聞き覚えがありました。
近松の研究をしていた京大の先生だったはず。改めて調べると近世全般が専門で江戸庶民文学の研究者だったようです。

この中に「西山宗因」という一節があり、思い出して見直していたわけです。
藤井さんは宗因の連句を貞徳派の連句と比較して
「漢語や俗語の使ひ方が一層自由であって巧みに人事より材料をとり、人情を穿ち、附合は言葉の縁にすがること少なくして前句の意味を受くることが多い」と紹介しています。

その発句については、「貞徳派の句と同じく掛言葉や縁語にすがった洒落もあるけれども、その洒落以外に自ら詩趣ありて才気の豊かなることはとうてい貞徳派の及ぶところではない」

と評価したあとでいくつかの句をあげています
そのなかに
 
 峰入りは宮もわらち゛の旅路かな

を上げ、その本歌に先ほどの蝉丸の歌を挙げているというわけです。

ちなみにこの本、ぼろぼろだけど、100円は気の毒。
この本と一緒に掘り出したのは、MORE WANDERINGS IN LONDON ルーカスという人の書いた洋書、1929年ニューヨークで発行されています。アメリカ人向けのロンドン案内のような本です。こちらも100円

どんな本棚からやってきたのでしょうね。 





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# by kokichi50 | 2006-08-07 14:35 | 俳句的空想

根岸の里

とりあえずなんでも付く中七下五というのがある。
昔からいわれるのが「根岸の里のわび住まい」
これうまく作ったもので、たしかにたいていの季語に付く

 蝉しぐれ根岸の里のわび住まい

 蒲焼や根岸の里のわび住まい

 ひまわりや根岸の里のわび住まい

 遠花火根岸の里のわび住まい

どんどんいける。けっこう絵になっていたりする。
しかし、どうしてなのだろうかと考えてみた。

ポイントは、まず地名。地名の句は歌枕でもないかぎり、そこにありそうなものは何でも付く。
ただし、地名に余計な歴史や固定イメージがないものに限る。
この点では、京都や日光は失格。
だれもが知ってるようで、意外に知らないところ。東京、江戸はだめだが根岸ってのは、名前は聞いたことはあるが、実際にはよく知らないという人が多いだろう。イナカである(昔は)

次のポイントは、「わび住まい」すなわち、これでもう登場人物のデッサンは完了していて、それでいてすんでいる本人は語られていない。「わび住まい」というのは実際は別の生活はある人が、わざわざ田舎の風流にあこがれてする、いはば物好き暮らしである。
したがって、どんなひとでも当てはめることが可能。

「根岸の里のわび住まい」これで一語になっているから上七で切れることになる。切れも用意済み。

なるほどねぇ・・・うまいもんです。

ただし、「根岸の里」も江戸からせいぜい明治あたりまでの話で、今では都心といってもいいぐらいの街中。
現代では使いにくくなっている。

 炉語りの根岸の里のわび住まい

こうなると年寄りの昔話になってしまう

何か平成でも使用可能の「根岸の里」はないだろうか
というわけで考える。

 「海坂藩はこのあたり」 どうだろうか

 蝉しぐれ海坂藩はこのあたり 
 
 蒲焼や海坂藩はこのあたり 

 ひまわりや海坂藩はこのあたり
 
 遠花火海坂藩はこのあたり 

海坂藩はご存知藤沢周平の小説の舞台。用心棒シリーズ 蝉しぐれ etc
山形鶴岡藩が舞台だといわれているが、別にどこでもいい。
誰でも知っているようで、実はよく知らなくて、100冊以上ある藤沢の海坂藩ものは実にいろいろな登場人物と設定。
さらにこれのいいところは、「このあたり」で現代人が主人公になっているところ。
 
 カキ氷海坂藩はこのあたり
 
 白日傘海坂藩はこのあたり
 
 飛行機雲海坂藩はこのあたり

とまぁ、現代ものもまずまず。上五を動詞にすると連句の地名もおっけ

 アイスなめ海坂藩はこのあたり

となります。どうでしょう。ほかにも考えて見ませんか? 
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# by kokichi50 | 2006-08-03 00:56 | 俳句的空想

あんみつ

実はアイスクリームよりあんみつが好き
あんみつにはけっこうウルサクてお店のは甘すぎる

あんみつはところてんがイノチ
とくにその硬さと舌触りにこだわってます というわけで自家製あんみつ。

といっても寒天を煮て冷やすだけ、水はやや多め。
ゼリーやババロアに比べてあっけないほど簡単にできます
蜜は白いほうが好きで、お砂糖を煮溶かしてジャムのビンに常備しておきます。あとは市販のゆであづきのかんづめをパコンとあけて完成。

お店のは果物とかかざってあるけどあれもメイワクなのでうちではなし。
ほんとは赤大豆を煮て入れるから蜜豆なんだけどあれもなし。(じゃまくさいから)
とにかく、あっさりさっさと作ってたっぷりいただきます。

夏はこれと麦茶で一日過ごせるみたい
低血圧は夏に弱くて、そうめん、あんみつ暮らしが続きます。


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# by kokichi50 | 2006-07-16 12:48 | 近隣のみなさま

椅子を買う

たいしたもんじゃない
毎度おなじみのムジルシのもの。
この春諸般の事情でやっと空いた一部屋を念願の書斎ににした。
家中の本箱を集合させて、机とパソコン。
机のほかにお茶の飲める椅子がほしかった。
本日、近所のムジで定価12600えんの椅子が展示品現品限り3850円・・・即買い!  15時30分

うちまで400メートルほどを送料500円はともかく、3日後でないと配送できないという。
「これ組み立てですから梱包すると手でもてますよ」
「大きい?」
「はぁ、でも大丈夫じゃないかなぁ」
ちょうど日も翳って、昼間の36.5度もいくらか和らいでいる。
「じゃぁそうします」
「はい」 ここで15時50分

梱包完了、横120センチ縦100センチ幅15センチ
「ひぇぇ」 
 出発     16時10分

16時20分 
東京南部 雷鳴とともに大粒の雨

陸橋の上をふらふらと歩いてた。

まぁそういうことです。玄関水溜り。パンツまでぐしょ。(涙)

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# by kokichi50 | 2006-07-15 21:45 | 近隣のみなさま