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国歌

国歌_d0037379_21172987.jpg建国記念日だそうである
新聞もテレビもなにもいわないので今日がだったか明日なのかおぼろげ。
とりあえず晴れの特異日ということで東京は晴天だった。
80代の母は「とにかく今日は晴れるのよ、雨が降った記憶がない・・」と申します。たぶん忘れているだけでしょうけど。

君が代がどーのこーのと検挙者まで出すさわぎなので、
いっそのこと新しい国歌を制定してみたら・・
そんな話を以前したことがあります。

「あれ歌うと負けそうな気がする」
サッカーの試合の前に歌うのしか知らない息子3はメイワクそう
「まともに歌うとものすごくむつかしい、ブレスがない」
混声合唱団にいた息子1は申します。
息子2はコメントなし。(この子は蛍の光も「窓の雪踏み読む
月日~」と信じてた)

勝負強そうで、唄いやすい歌

~めでためで~たぁのぉ若松さ~まぁ~よ~
枝も~しげぇれ~ば~葉も~しぃげぇるぅ~~

合いの手も入って、景気はいいし唄いやすい
サッカーの試合の前にこれで競技場が盛り上がるってのも悪くない。

君が代は誰が決めたかしらないけど
初出は万葉集、でもね
室町後期に成立した「閑吟集」という歌集に出てくる
「閑吟集」は中世歌謡の集大成で、後の小唄や一中節など三味線にのせる歌の元になった、歌謡の採集本だからもちろんすべて読み人知らず。

この本にこの「若松様」も一緒に出てくる
何でこっちにしなかったんだろう・・・
薩長土肥の田舎侍にはむりなセンスだったんでしょうか
直参だったらと歴史のifに思いをはせています。


とにもかくにも
国歌というのは良くも悪くも国民性の発露であるべきです ヤマト民族にはタタカイは似合わない
とにかく勝利よかおめでたいほうが好きなんですな

「おめでたい」という思想はおそらく日本独自のもので
いくら説明してもほかの国の人には理解しにくいものだと思います。
具体的に何がどうなる、というわけではない。
なぜ、鯛がめでたいか、紅白がめでたいか、昆布がめでたくて
と考えていくと、鯛はめでたいのタイ・・なんてもとにもどってしまうのもあります
松竹梅も理由は三種類別々で、鶴亀は長寿、笑いはとにかくいいことなんだろう。
おめでたいものの集大成ともいえる重箱の中を見ても
ごまめ(マメに) こぶまき(よろこんで) かずのこ(子沢山) 紅白なます(なんか紅白) ・・・
とにかく、敵が想定されていない。自分たち(これもあいまい、このあたりのぐらい)の平安なんですよね。

あたしこの国民性がだいすき、よくぞ日本に生まれけりとおもってます。

つまり、サッカーの試合なんてお祭りなんだからさぁ
オリンピック、うんお祭り
卒業式 入学式 うん お祭りお祭り

君が代だって良く見れば、「千代に八千代に」の歌
閑吟集のころ、おそらくは江戸の終わりまでは宴会の〆に吟じられる歌だったわけです。
この「君」は大君の時代から天皇のことだったでしょうが
日本人の心には「君」の長寿は天下泰平(これ究極のめでたさ)の象徴だっただけだと思うんですよね。

サッカーで勝つぐらいがちょうどいい勝利
みんなで盛り上がるこれが大事

となれば、「若松祝い歌」(これが名前らしい)なんか・・
とおもうわけです。会津がいばるという説もあるようですが
このうた、博多山笠でも〆の祝い歌として唄われるそうです。
でね二番がいいの

 めでためでたの若松様よ
 枝も栄えて木も茂る

 ここのおうちはめでたいおうち
 鶴と亀とが舞い踊る

見よ、この究極のテキトウさ
しかし、これ唄うと試合なんかどうでも良くなってしまう感じはするなぁ 
スポーツ用とその他用に二種類用意するってのもありでしょうか。
# by kokichi50 | 2007-02-14 21:18 | 近隣のみなさま

建国記念日

建国記念日はすっかり「タダの休み」になってしまったようだけど
どうなんでしょうね

美智子皇后は講演の中で
古事記のヤマトタケルノミコトの物語を
「民族の子供時代のようなこの太古の物語」とおっしゃいました。
うまいなぁと感心。
確かに神話と歴史を結びつけて事実と相違するとか事実だとか争うことは意味がないですよね
あれは民族の子ども時代の記憶なんだと
そういわれてみると神話に対する現代人の正しい立ち位置が解るような気がします

子供のころの記憶は、トイレに出てきた蜘蛛は30センチぐらいあったような気がするし、獅子舞のタイコの音は不安で隠れてしまいたくなるようなもの。不思議な真実なんですよね。

民族として共通に持つ子ども時代の記憶としての神話ならば
子供にとって、
初めて一人で夜トイレに行った日が最初の「自己確立記念日」であるように
神武東征ののちの即位の日(といわれている日)が建国記念日であって別に不都合はないようにおもうのです。

なにしろ当代皇后の公式発言ですからね
カシコイ人だとは思っていたけど、
こんなにするっとすごいこといっちゃって・・・

外交的には日本のナショナルデーは天皇誕生日
建国記念日は別にあるってことはあまり知られていません
「夫の誕生日より民族の小さいころの記憶の日を」
深読みするとそんなふうにも見えます(笑)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/26ibby.html
全文はこちら


建国記念日_d0037379_17223165.jpg

# by kokichi50 | 2007-02-13 17:22 | 近隣のみなさま

親の責任

子供の問題行為は親の責任と
二人の方に教えていただいて、ややへこんでいます。

考えてみればうちなんかなにもしてこなかった。
男の子が三人。上の一組は年子です
ひどいときは0歳3歳4歳とか 小学校に3人とかにぎやかなものでした

小学校の保護者会なんか上の子のクラスには「下に行きます
」下の子のクラスには「上の子のクラスに・・・」といって顔だけ出して逃げることになってました。
子供の友達はわかりますが、その親となっては顔も知りません。
6年で3回しか行かなかった学校もあります。
卒業式で挨拶されて「おやまぁ。。」って毎年やってました。

とりあえず食べさせて、着させて、学校には言われただけのお金を払ってそれでおしまい。それでせいいっぱい。
子供の個性なんて考えたこともなく、
気がつけばそれぞれ道を見つけて出て行こうとしています。

あたし自身は一人っ子でした
そのころとしては珍しかったかも知れません

ぼんやりした子供でしたので親は気になったことでしょう
とにかく学校のうわさは子供より親のほうが良く知っているような状態でした。
それが別に役たったようにも思わなかったので、自分の子供は完全に手抜き。

子供は親の責任といわれてへこむゆえんです。
「お母さんががんばってあげたから、今のあんたたちがある」
そういったら
一号は「そうかなぁ・・」から始まって理路整然と矛盾を指摘するでしょう。二号は「わかったわかった、もういいから」
三号はマジメな顔で「医者に行ったほうがいいよ、勧めるよ」
って言うに違いありません。
そりゃそうだ。

でも、ほんとのところどんな小学校時代だったのでしょう
久しぶりにゆっくり、あらためて彼らの小学生時代の話を聞いてみたい気持ちです。
# by kokichi50 | 2007-01-24 21:43 | 近隣のみなさま

そこに立ってなさい

教育再生会議の報告案がまとまった
・いじめる子どもに対する「出席停止」措置。
・体罰に関する基準の見直し。

このへんが両論のあるところだろう

出席停止してその子供たちの面倒は誰が見るのか
その子供たちこそ面倒を見てくれる人間がいないケースが多いのは誰だって知ってる。
学校という唯一のよりどころから追い出してその子達の行く場所がコンビニ前の路上であったとして、それが教育再生なんだろうか。
いじめの問題は切実だ、被害者にとってはきれい事ではすまない。
しかしその対策が教師によるいじめっ子に対するイジメでしかないとしたら、別に法律も国家もいらない。
ここで必要なのはより手厚いケアであり人員の増強だとおもう

30人学級に教師が二人付いたら、学校は子供のシェルターになることが出来る。

「子供はまずその親から守られなければならない」
といわれたのは19世紀のイギリスだけど
21世紀の日本だってそれは同じ。
それこそが公教育の基本的理念の一つだったはず、
お金と余裕と有り余る愛のあふれている環境にいる子供には公教育は必要とされない。
公教育は誰のためにあるのか、そんなことを教育再生会議のあのメンバーは考えないのだろうか。

子供は問題のある子供ほど学校から出してはいけない
イジメた子供には、登校停止処分より、学校に寝泊りさせて学校から出ちゃいけませんって下校停止処分が相当。
これが大人の子供に対する責任の取り方ってものじゃないだろうか。

体罰については対象の範囲と手段についてあまりにも多様なので一概には言えないと思う
ただ教師が生徒の人生を左右するほど絶対的な力を持っている現在、それこそ弱いものいじめとの区別は難しい。
誰が判断するのか。
だれが責任を持ってこの行為は教育だと判断するのか

昔のこと、ある新卒のオバカ教師は、職員室にチョーク箱を忘れた。
一番前の腰の軽そうな坊やに「あ・・忘れてきた、ちょっと取ってきてよ」「ほいよ」
彼は10メートルほど離れた職員室へ走ってくれた。

このオバカ教師はあとでしかられた。
「それは子供の教育権の侵害なのよ、教室を離れることを指示しちゃダメ」

あほらしい・・・と思いつつ、オバカ教師はちょっと感動した。
こういう教条的なルールを守ることで、その次の崩れを防いでいる。人間を人間が教育するということの難しさを熟知している人のことばなんだなぁって。
オバカ教師をしかった先生は次の一歩が怖かったんだとおもう
今回は2分でも次は15分かもしれない、次は・・

体罰の基準はいったん崩れるとどうなるのか

そこに立ってなさい」から「外に立ってなさい」までは
ものすごく近い


そこに立ってなさい_d0037379_23184168.jpg
# by kokichi50 | 2007-01-20 23:19 | 近隣のみなさま

あの日

あの日、朝7時ごろいつものようにテレビをつけた
阪急伊丹駅の様子が映っていた
「これどこ? どこなの?」
「伊丹って出てる、大阪空港か?」

死者2名、宿直室の駅員さんがガードの下敷きになって亡くなられた・・・これが最初に見たニュースだった
大阪の実家に電話したがもう通じなかった。

落ち着け落ち着け・・と口の中でつぶやきながら
テレビを見つめた
阪急伊丹線は大阪北部を南北に走っている
池田の被害が出ているという
考えれば、神戸方面の様子はまだ報道機関も掴んでいなかった

付近の住宅は東西に倒壊しているように見えた
「テレビは放映している、大阪北部の被害に中央区のテレビ局が動いているのだから、実家のある南大阪はなんとか助かっているのではないか」

「京都がやられたかもしれん」
「花折か有馬-高槻か・・・」
花折断層は京都の北部花折峠から南に走る関西有数の活断層。有馬-高槻構造線は淀川の北岸を西国街道ぞいに走る断層の束。
これらの断層は京都中心部を通って、桂、天王山のふもとをへて池田、伊丹へ、一部は六甲山の海側まで続いているはずだった
これらが動いたら・・・というのは学生時代いやというほど聴いた話である。でも関西人にとってはやっぱり地震は遠い話だった。

足が震えた。


神戸の惨状が報道され、野島断層という無名の小さな断層が動いたと聞いたのはその数時間後。

京都で学生時代をすごした。地理学をかじっていた。
それでも野島という断層は有馬-高槻の一部とはいえ、そういえばあったな。。ぐらいの認識。それが数メートル動いただけで、あの大災害だった。

友人、親戚、知人、もう数え切れないほどの人が罹災した
幸い、直接の知人で亡くなった人はいなかったけど。
7日ほどたって、やっとつながった電話に
「あたし、なんかできることないの?」
「ない・・ウチはみんな生きてるから」
友人の返事に改めて惨事のものすごさを知った。

大阪市内以南はとりあえず難をのがれた
「堺(実家)が待ってるからとりあえず逃げておいでよ」
幼馴染にそういったら
「ここにいてるわ、半壊やから家は住める。人がいなくなったらいつまでもアカンやないの」
ご近所のお年寄り助けてマンションの8階まで水をはこび続けたらしい。
ぼんやり奥さんが見違えるようにしっかりして
みんなすごかった。

あれからもう12年もたったなんてウソのよう
避難所には置けないからとたった一人で歩いて阪急電車に乗り
飼っていた猫を石橋のおじいちゃんちまであずけにきて
「おかあさんまってるから」
といって小学校の講堂の避難所へ帰って行った友人の子供も今年成人式。

あのとき神戸の人は立派だった
亡くなった多くの人への慰霊とともに
助かった人たちのがんばりもわすれられない
# by kokichi50 | 2007-01-17 22:14 | 近隣のみなさま