入液 = 季語

乳液にあらず。
立冬のあと10日をいうらしい。今頃よね。
このごろの雨を「液雨」っていうから・・・ってそれもわからん。
 蓑虫の蓑にかくるる液雨かな  巣欣
だそうです。

 書肆を出て入液の首すくめおり  晶 

このころの雨ってやや粘性があるんだろうか。 
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# by kokichi50 | 2005-11-13 14:37 | 俳句的空想

何もない日のすぱげってぃ

今日は夕飯参加者2名と一匹。
冷蔵庫を漁って、干からびたベーコン発見。いつのかわからんスパゲッティ一束、たまねぎ、じゃがいも、牛乳、タマゴ・・
通りがかりに買ったしいたけとブロッコリ(どっちも100円)で白いスパゲッティ。
刻んで、炒めて、小麦粉入れて、また炒めて、あと牛乳。とろりとしたら塩コショウ。今日は残り物のクリームとチーズのかけらも投入。ぐるぐるかきまわしておしまい。
ソースができてから麺を茹で始めるのがコツだそうです。そーかそーか。
同時にブロッコリを茹でてしまうのをいけないとはきいたことがないから実行。

一匹には昨日の残りの鯵。一人と一匹、フガフガいって喜んで食べます。
なんかなぁ。世の中にはもう少しおいしいものもあると教えてやりたいような、やりたくないような、人生には知らないほうがシアワセなこともあるんだよね。

サルトル生誕100年とか。
ということは、ポールニザンも100歳

「僕は二十歳だった。それが人生 でもっとも美しい時だなんて誰にもいわせない。」

アデンアラビアが読まれた時代は遠く過ぎたけど、彼の80年後輩たちもやっぱり物憂げなやりきれない、感動のない顔をしてなすすべもないように街にたむろしている。
それを見るのはあたしにとっては救いである。
その不器用な苛立ちの時代を大切な記憶として人は生きてきたのだから。
不器用でみっともなくて、自意識のお化けの時代を持つものだけが次の時代を作っていけるのだから。

ビラミッドのエピグラフを解読してみたら、「近頃の若いもんは・・」と書いてあったそうな。そーだろうそーだろう、そんなこと考えながら、一匹のために鯵をひっくりかえしてやっている。

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# by kokichi50 | 2005-11-10 09:06 | 近隣のみなさま

神田ふるほん市

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  木の実拾う指で露天の文庫本

  片側は野山の色に古書の市

  古書市や茸狩りの目ですれ違ひ

  落書きの多き茶房や時雨くる 

  冬隣ガラス戸きしむ古書の店

  茶房の戸開けて小春の古書市に 
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# by kokichi50 | 2005-11-06 00:18 | 俳句的空想

きつねうどんのつれづれ・・。

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関西ではケツネうどんという・・のはうそ。
正統派大阪人の我が家でもちゃんと「キツネうどん」。

食欲のない時、二日酔い、風邪のなおりかけ、失恋、欠点・・・もろもろに効果がある。
本日はそのどれでもないが食事を考えるのがじゃまくさくてキツネ。これもあり。

あとはありあわせで、けっこうおいしくいただきました。

今日は、午前中東京証券取引所のサーバーがだうん。夕刊で我が人生二度目となるぜんぶ出来高無しの株式欄を見る。

記憶にある最初は1987年10月19日いわゆるブラックマンデー
ニューヨークダウの暴落を受けて、翌日東証は作為的に買われた数社を除きすべて売り気配のみでおわり。翌日の朝刊株式欄は真っ白だった。もっともこのあとバブルは続き1990年の大納会で38000円以上をつけるまで伸び続ける。

生まれるのが10年はやかったなぁと思ったのがあのころ。
就職氷河期をナキウサギのようにほそぼそ生き延びたその10年前の女子大生にしてみれば、均等法一期のおねーさんたちが、好景気の波に乗ってあこがれの職場に当たり前のように入っていくのがホントうらやましかった。

あたしたちのころ、四月の就職掲示板に一枚も求人の紙がはられていなかったなんて信じられるだろうか。でもほんと。
○○観光(接客業)という女子学生求人が某国立大学に来て、旅行会社かと思って面接に行ったらキャバレーだったという実話もある。

今となって考える。
結局勤労の30年の間にはいいことも悪い事もあって、でも大半の人間はなんとかそんな流れの中でのんびり生きていく。
あの就職氷河期のなかまも今はいいおばさん。しっかりしすぎるぐらい生き延びている。

きつねうどんで考えるつれづれ。
「関西のうどんは哲学的である」といったのは小田実だったか

 写真はお月様。木の葉どんぶりはかまぼこを刻んで入れる
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# by kokichi50 | 2005-11-01 23:50 | 近隣のみなさま

五七の桐

組閣に伴う小泉総理の記者会見を見ていて気になったこと。
大臣はまァ誰がなってもいいんだけど、あの演台に付いている桐の紋章です。

そういえば、パスポートには十六紋菊が付いてる。
あれはどうなってるんだろう。十六弁の菊は天皇家の家紋、ただ正確には「十六弁八重表菊紋」っていって、十六のはなびらの後ろにちいさな花びらが見えてるやつ。
パスポートは十六だけ。
でもって、日本国はこれでいくのかとおもったら、500円玉は五三の桐だし、今日発見、記者会見の演台は五七の桐。
これって我々大阪人には豊臣秀吉の紋。

どうなってるのかなぁ、嫁入りダンスじゃあるまいし、とりあえず桐つけておけばいいんだろうか。

とりあえず桐っていうのは、女の紋付。
関西では女紋というのがあって、一家の中で女と男の使う紋が違う家がよくある。
たいていは、決まっていて女系に受け継がれる。だからおっかさんの嫁入り道具についてる実家の女紋を娘も嫁入りにつけていくわけ。
これはよくできた習慣で、母親の嫁入り道具をそのままもらって行くときに違和感がない。

家の定紋は一つで紋付なんかはそれをつけるけど、略式の着物には女紋をつけるとかする。
うちの母親の家は丸に木瓜(もっこう)という武ばった紋で、何に付けても似合わない(!)という理由で母は勝手に父の家の紋から○をとって橘を女紋にしてしまった。
したがって、あたしの紋付は橘となる。
法事などで一家の女が並ぶと、嫁いだイトコたちも同じ紋でずらっと並んでそれはそれで思いが深い。

   背の紋の高低並び庫裏冷える     晶

こんなとき、母のように思い切りの良くない人は桐をつける。とりあえず桐は誰が使ってもいいことになってるという。
「そんなもの付けてたら、貸衣装やと思われます」ということにもなる。


紋は姓ほどうるさくないし、デザインもいいし、悪くない習慣だと思うんだけど、さて、小泉さん五七の桐ってどうしてなんですか?
政府って豊臣家になんか義理でもあるんだろうか。d0037379_22413496.jpg
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# by kokichi50 | 2005-10-31 22:40 | 俳句的空想

でんでんむし

子供の小さかったころ、我が家ではカタツムリを飼っていました。
プラスチィックの箱に入れて、水を掛けると突然動き出します。デンとムーシと名前も付いてお気に入りでした。

夏休み、大阪のおじーちゃんちに、飛行機です。当然つれてかえりました。
鯨のペイントの付いた飛行機とサービスされたオレンジジュースに夢中になって、大事に抱えていたケースを機内にわすれてしまった2号、あたしもあわてて、半泣きの息子の手を引いてカウンターへ。

私「わすれもの、今東京からついたやつです」
おねーさん「ハイ、(にっこり)どのようなものでしょうか」
2号「デンとムーシていいます。おおきいほうがデン・・えーとキューリがすきなの」(眼に涙)
おねーさん「・・・・」
私「カタツムリです。」
おねーさん「ああ・・すぐに見てきてあげるからね、どのぐらいのおおきさなの?」
2号「デンはこんくらい・・」
おねーさんは、すぐに機内に電話、
「カタツムリのおわすれものです。3センチぐらいなの.いえ2匹・・・生きてる」

あたしが気づいてケースに入ってるっていうまで、機内では探していたらしい。5分ぐらいだったけど。ごめんなさい全日空。(無事みつかりました)

友人宅の子供の話をしていて思い出しました。雑談です。
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# by kokichi50 | 2005-10-26 23:43 | 近隣のみなさま

やってみたこと

d0037379_0383438.jpgテルテル坊主を作ろう
違った道で仕事に行こう
窓ガラスを磨こう
爪を切ろう
先月もらった手紙の返事を書こう
ネコにブラシをかけよう

どれか効くかなぁ
嗚呼 三連敗・・・・
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# by kokichi50 | 2005-10-26 00:39 | 近隣のみなさま

河原町丸善 閉店

d0037379_16232087.jpg10月10日
京都河原町の書店「丸善」が閉店した。
ちょうど、京都にいたので、閉店の日午後4時ごろお店へ
「当店は本日午後7時に閉店させていただきます。・・・」という小さなあいさつの掲示があり、いつもの土曜日のように込んでいた。

この店はあたしの学生時代、京都最大の書店で、専門書は大学生協にもあったけど、洋書はここにしかなかった。
今はどうだろうか、当時は1ドル300円時代で、洋書はものすごく高かった。
ペリカン一冊が1000円ぐらいしていたように思う。
三階が洋書でよく雑誌や写真集を眺めにいったものである。

四階は洋品、文房具。ステッドラーの消しゴムだけはここで買った。ロットリングは高くて買えなかった。

あたしの思い出より、丸善といえば「檸檬」梶井基次郎の短編。
寺町二条の八百屋で檸檬を一個買った「わたし」はそれを持って丸善へいく。(多分徒歩15分ぐらい)美術の本を積み上げてその上に檸檬を一個そっと置く。
彼の中で一個の檸檬は爆弾となり取り澄ました否定的な大きな書店を木っ端微塵にする。

人の考える事は高が知れていて、閉店が決まった丸善では「檸檬」が売れに売れ、もちろん閉店の日は売り切れ、「問屋が驚くほど入れたんですけどねぇ」お店の棚に檸檬を置いていく人も多くて、20個以上が籠に集められていた。

記念スタンプが出ていて、丸善のはがきがつんである。

三枚もらってきた。ほしい人いる?

檸檬はここで読めます。↓

青空文庫 檸檬
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# by kokichi50 | 2005-10-22 16:25 | 貧乏人の古本日記

椿山課長の七日間

いろんなことに疲れてしまったとき、もう死んでしまった人のことを思い出すことはないだろうか。
だれでも、今と違う昔があって、それはいい時はかりではない。
あのとき、こうしていれば・・とか こう言っていたら、とか。

歴史も人生も紙一重でかわるというけど、あれはうそ。
歴史が誰かの一瞬の判断でかわったように見えても、実は大きなうねりの中の必然であったように、人のくらしも「あのときの判断」に逆はなかったように思う。
あとで考えてみれば、あたしはあのころその程度にバカだっただけなのである。

この小説は朝日新聞の夕刊に連載された。
もう数年前になる、そしてそのころあたしは随分疲れていた。

突然死したデパートに勤める椿山課長、自分の死と死後の世界で下された判決(邪淫の罪だって)に納得できず交渉の末、七日間だけ生きていたころの自分の姿とまったく違う、「美女」の姿になって現世に戻ってくる。

そして、いっしょに戻った二人とともに、生きていた自分と自分を取り巻く人たちの本当の姿に出会っていく。

ユーモアと凝ったなぞ、そしてサスペンスと親子の絆・・

面白く読んでいて、気がつく。
これは死者のことを書いた本ではない。
思いが残るのは死んでいくものではなく、生き残ったものたちなのだ。
先に言ってしまった人たちに、自分がいまよりもっとバカだった時愛したり憎んだ人たちに
こうしてどこかで本当のことを知ってもらえたら、あたしの知らない間に今の気持ちを聞きに来てくれていたら。

置いていかれてうつろになった人間のことを、この本はわかってくれているようだ。

新聞連載の最終回
夕暮れの団地のベランダで待ちかねたあたしは立ったまま新聞を開いていた。
椿山課長ら三人が昇っていったエレベーターの上にある景色に出会う。
硬くなって冷え切っている背中に誰かがそっと暖かいものを掛けてくれるような気持ち。
気がつけば「ウワーッウワーッ」と声を上げて泣いている自分がいた。
泣くっていい気もちなんだ。


椿山課長の七日間
浅田 次郎:著
朝日文庫:ISBN4-02-264352-8   やっと文庫に入りました。d0037379_0242225.jpg
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# by kokichi50 | 2005-10-21 00:23 | 貧乏人の古本日記

十三夜には一葉を読んで

今夜は旧暦9月13日 十三夜です。
このお天気では、東京はお月様は拝めないでしょうが、十三夜といえば夜寒も本格的。もう秋も深いという気持ちがひとしおです。
「十三夜」これは樋口一葉の短編小説。
高級官吏に望まれて嫁いだお関が駿河台の屋敷を抜け出し、どうにも離縁させてくれと上野新坂下の実家に泣きに来るあの夜を思い出します。

夫のいじめに耐えかねて、離婚したいと実家に戻った娘が、父親にいさめられてまた家に帰っていく、ただそれだけの家庭小説、昔の恋をもうひとつの筋にして、話としてはよくある筋立てで、明治の小説としても何の曲もありません。
ですが、この掌編がやはり明治以降を代表する小説だとおもうにはそれなりの理由があります。

主人公お関という女の意思と主体性。父親の世間というものに対するものの見方と、処世。
明治という時代に始めて現れた人間たちです。
「聡明な弱者」これはそれまでの日本にはいなかった市民です。

「私は鬼に成つて出て參りました」という娘「私はくら闇の谷へ突落されたやうに暖かい日の影といふを見た事が御座りませぬ」とかきくどくを「身一つと思へば恨みも出る、何の是れが世の勤めなり」と涙を見せながら諭す父。
ただめぐり合わせ、偶然に降りかかった苦労としてでなく、それと知って、意思的に我慢をせよと父親は言うのです。
自分たちは弱者である。なればそれなりの苦労はかって出ようではないか

これほど、聡明に立場と時代と人の心を見抜いて語る弱者はこれ以前にはなかった。
江戸の戯作文学で語られる「庶民の意地と張り」には見られない自分たち自身を見つめる透徹した目が近代なのだと思わされます。

後半、お關は車夫となった幼馴染に出会います。
この録之助は近代小説に最初に現れたニヒリスト、
「何が樂しみに轅棒(かぢぼう)をにぎつて、何が望みに牛馬の眞似をする、錢が貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何も彼も悉皆(しつかい)厭やで、お客樣を乘せやうが空車(から)の時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする」

これも、近代の作り出したひとつの人間像です。

この短い小説には、近代を生きる弱者があるものは自己を見つめ、あるものは生きる価値を見失いながらきわめて狭い世界をすれ違っているのです。

一葉の名文は流麗で理に走ることなく、人間をリアルに語ります。
「同じく不運に泣くほどならば原田の妻で大泣きに泣け、なあ關さうでは無いか、・・」
「お前が口に出さんとても親も察しる弟(おとゝ)も察しる、涙は各自(てんで)に分て泣かうぞ」
人間は「各自(てんで)に分て泣く」ことで強くなるのだと、誰かが自分を思ってくれていることに力をつけられる生き物なのだと一葉は教えてくれています。

「決して決して不了簡など出すやうな事はしませぬほどに夫れも案じて下さりますな」
私は死なないといってかえってゆく、現実を見つめて生きるお關、
「お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、」
この世はすべて夢と見定めた録之助。

十三夜の出来事は近代を生きる姿を描いてやはり名作だと思います。
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# by kokichi50 | 2005-10-19 23:37 | 貧乏人の古本日記

これだけはわからない
友達のうちにはいた。
うるさくてじゃまだった。
いつも付いてきて、ビービー泣いた。
年下のオンナと話をするようになったのは最近。
大人になっても、勝手で要領が良くてわがままな女しかいなくて
年下は嫌いだった。

おにーちゃんの自慢をするやつはもっときらい

生まれつきの一人っ子、文句あるか!!d0037379_124247.gif
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# by kokichi50 | 2005-10-19 23:36

天丼

わが町は東京ということになってます。
で、毎日この街をとぼとぼ歩いているのですが歩くのにも名人と下手がいるということを最近知りました。
下手は買い物袋を両手に提げて、3メートル前方の地面をしっかと見据え前傾姿勢で歩きます。
永井荷風は東京歩きの名人だったという本を立ち読み。
彼の好きだった散歩コースは、浅草、銀座、両国、寂しがり屋の集まるところです。
入る店が決まっていて、浅草のシチュー、両国の蕎麦屋なんかは今も有名です。銀座ではいくつかあって、ハイカラなものがお好きだったみたい。ごひいきの中に天麩羅やも。そう、7丁目のあの店です。
天丼とお銚子一本が決まりだったそうです。

色町や真昼しづかに猫の恋 永井荷風

落葉降るさなか天麩羅匂ひけり  中嶋秀子
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# by kokichi50 | 2005-10-17 19:31 | 俳句的空想

月うさぎ

4年前までうさぎを飼っていました。
いまはやりのしゃれた美人ではありません。ふつーのウサギ、茶色と白のピーターラビットと同じ柄のやつです。
ゆえあって我が家に引き取られ、犬猫飼育禁止のマンションで、「ウサギだもーん」と市民権を獲得。

ウチ中のカーテンをかじり、PCやテレビetc..の配線を切断し、ふすまにトンネルを開け、辞書を中心に放置されたすべての本の角を食いつくし、壁紙を味見、飽きるとおなかを出して仰向けに熟睡、そしてそして、家族全員から溺愛されていました。
亡くなる前の日、その前の日まで元気だったのに暗いところでじっとしているのでどうしたのと抱いてやりました。いくら抱いていても体がひんやりとつめたくてあたたまりませんでした。
春になって葉つきにんじんがお店に出ると今でも買ってしまいそうになります。カリカリといい音を立ててかじっていました。ときどき飼い主のほうをおいしいよ~って見ながらたべるんですよね。・・・無口ないいやつでした。

d0037379_8563037.jpg秋になり、風がひんやりしてくると、一生懸命穴を掘ったあとふっと空を見上げるうさぎの表情が思い出されます。空気の匂いをかぐあの顔です。

この写真はムベ 「吹くからに 秋の草木(くさき)の しをるれば むべ山風を 嵐
といふらむ   文屋康秀」
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# by kokichi50 | 2005-10-17 08:56 | お猫さま

憲法に巻き込まれてます

あのですねぇ
論旨が混乱しているように思えます。
ここは「九条」特にその中でも2項の問題を考えるのではないのですか。
憲法を改正する事と、九条を改訂することは一致しません。
ターゲットを九条から他の条文に拡大する事は危険です。
憲法の条文はその基本法としての性質から、すべて独立して考査されるべきものです。

あたしは、先にも述べましたとおり、九条二項の改訂には反対です。しかしながら、


「改正賛成の理由として、半数以上の人が「今の憲法では対応できない新たな問題が生じているから」と答えている。」

これはまた別の問題です。

あたしは、選挙権は18歳からであるべきだと思いますし、被選挙権は20歳で十分だと思っています。
現在の若者の無気力を憲法が何とかしようとすれば、彼らの存在をまず国家が一人前だとみなすべきだと思うからです。

二十五条一項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 」
この最低限度ってのもとっぱずすべきだとおもいます。
日本はこの60年でそれだけ豊かになったのです。
健康で文化的な生活は贅沢な暮らしではないといえます、そのくらいの権利があってもいいでしょう。

だいたい、ネットの発達で脅かされる個人情報の問題も憲法が言及するには瑣末です。現行憲法の十二条(権利の乱用の禁止)、十三条(公共の福祉)で十分カバーされています。その証拠に「個人情報保護法」は別に違憲立法だといわれることはありません。

環境問題も二十五条の生存権で保障され、すでに公害産業との対立は十二条によって企業の権利は制限されるという判例が確立しています。ということは個人においても権利の乱用の解釈で十分環境問題を判断する事ができるということです。(環境保護法は十二条があって成立しています)

ニートの問題は言うまでもありません二十七条ですね
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」
これ以上はっきりとした条文があるでしょうか。

あとなんでしたっけ。

ようするに、なんだかんだいっても、今、現行憲法で不自由をしているのは四章以降の細かく定められている、手順の内容とあと九条ってことですね。

で、改正ですか・・・
ふーん 何を言ってもミエミエだとおもうんだけど。
国会手順を替える気がない国会議員のみなさんの本音。

「「国民の統合の象徴」である天皇とともに歴史を歩んできたとの趣旨」なんてねぇ、日本の歴史の中で天皇が統合の象徴であった時代がどれだけあったかは中学生でも知ってます。
平家以降明治までその天皇をテキトウに隅においておくのが政治だったのです。あげく、開国のときにあわてたんだから。

余談ですがあたしは、ibbyの講演で皇后美智子さまが日本の神話のことを「民族の子供時代のようなこの太古の物語」って言い切ったのをみて深く同意したんですもん。

憲法改正の話をするならこのスレットの題名どおり、九条に絞りましょう。
あ、国民投票は、1項に一回必要ってふうにかえるのもいいな。
抱き合わせは問題をぼかしてしまいますから。

というわけで、あたしは九条二項に関してはあったほうがいいとおもってます。軍隊さえ持ったらすべて問題が解決するかのような幻想はまずいです。
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# by kokichi50 | 2005-10-14 22:33 | 近隣のみなさま

四日間

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関西方面へ
ずっと雨
降りみ降らずみの京都の町を100円傘で這い回る。
加茂川はドロが増えて、中洲に植物が生育、
高瀬川一の舟入、あの町の真ん中にアオサギがボーっとたっている。京都はだんだん微妙にイナカになっていく。

昔は見なかったトンビが鴨の河原に乱舞し、トラクターの似合いそうなあんちゃんねえちゃんばかりが目に付く町。

東京のせいだ、東京の一人勝ちのせいで、日本は東京以外みんなイナカになっていくんだ。

もういいから、京都は静かにおやすみなさい。
ジミジミとホコリばかりの博物館になりなさい。
京都が鹿のいない奈良になる日は近い。

10月10日、河原町丸善閉店。

夕食 鴨なすの田楽 刺身 湯豆腐 ゆば煮物 冷酒「春鹿」
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# by kokichi50 | 2005-10-12 23:05 | 近隣のみなさま